第42代横綱

鏡里 喜代治

 戦後、最も美しい太鼓腹といわれ、横綱土俵入りも見事なものだった。双葉山の胸を借りて順調に出世した。召集先で双葉山が東富士に負けたのをラジオで聞いた鏡里は、東富士を倒すことを目標に精進を重ねた。栃錦や若葉山と同時に新入幕を果たした鏡里はひざを傷めた影響で突っ張りの相撲から、165kgの立派な腹を利した右四つ左上手を引く相撲に転向した。幕内上位に進出した鏡里は東富士との2回目の対戦で宿願を達成、優勝した東富士に唯一の土となる4回目の対戦での白星は現役生活で思い出の一番と語っている。関脇4場所目で11勝を挙げた鏡里だが、大関昇進の可能性はないと東京駅まで見送りに行った。その駅での「鏡里関、大関になりましたから至急お帰りください」というアナウンスで大関昇進を知ることになった。大関時代は常に2ケタの白星で安定、6場所目の優勝で横綱に昇進した。横綱では3度の優勝があるが成績はいまひとつだった。昭和33年1月場所で鏡里は10勝できなかったら引退という決意で臨む。千代の山と栃錦の2横綱を連破したが9勝6敗という成績で引退を表明した。動ずることなく相撲を取り切っての引退という説と、朝日新聞の記者に約束の10勝できなかったのだか責任を取れと言われて渋々の引退という説がある。引退後は時津風を継いだ時期もあったが、のちに立田川部屋を独立させた。優勝4回。


年月成  績決定戦金 星
28. 310○●○●○○○○○○○●○●●A大 起 C琴ヶ濱
28. 512○○○○○○○○○○●○○●●
28. 9○○○●○●○○○●○○●●●C国 登 E清水川
29. 113○○○○○○○○○○●○○○●
29. 310○○○○●○□○○●●○●●○D羽島山 I大蛇潟
29. 511○○○○○○○●○○○●●○●G出羽錦
29. 9○●○●○○○○○●●●●○○A成 山 C国 登 I宮 錦
30. 110○○●○○○○○○○●●○●●B若瀬川
30. 3○●○○●●○●■ややややややA羽島山 D若瀬川 E出羽錦 G朝 潮
30. 511○○○○○○○○●●○○●●○
30. 914○○○○○○○○●○○○○○○H玉ノ海
31. 114○○○○○○○○○○○●○○○
31. 3○○○○○○○●●○●●●●●G若瀬川
31. 5●○○○○○○●○○●●○●●@鳴門海 K成 山
31. 914○○○○○●○○○○○○□○○E鳴門海
32. 1○○●●○●●■やややややややB鳴門海 C荒 岩 E大天龍 F三根山
32. 311○○○○○○○○●○●○●●○
32. 510○●○○○●○○○●○○○●●A三根山 E信夫山
32. 9○○●●○○○○●○●●●○●B栃 光 C房 錦
32.1115ややややややややややややややや
33. 1○●○●○●○○●○○●●○○C大 晃 E信夫山 K荒 岩
199勝88敗28休、勝率.693、在位21場所配給31個