第47代横綱

柏戸  剛

 動きの速い小型軽量の栃若時代のあとに訪れた大型重量の柏鵬時代。その一翼を担ったのが柏戸である。2人は体も相撲も対照的だった。大鵬の“柔”に対して柏戸は“剛”。骨太で胸厚く全身筋肉の塊であり、土俵を一直線に走った。若い頃は強い腕力の突っ張りが武器だったが、横綱になって肩を故障したのちは前褌、右おっつけの型を確立した。柏戸の成績は優勝回数、勝率などライバルの大鵬との間には大きな隔たりがあるが、強さと地力では大鵬と互角で、土俵を突っ走る豪快さは絶大な人気を博した。しかし、彼の取り口はケガを起こす危険をいつも孕んでいた。また、糖尿病によって稽古量が少なくなったのも大鵬との成績の差を生む原因だった。こうした大鵬優勢の中で、柏戸がその強さを発揮してファンを狂喜させたのが昭和38年秋場所であった。横綱に同時昇進した大鵬が優勝を11回に伸ばしていたのに対して柏戸はケガに泣かされわずかに1回。4場所連続休場で迎えたこの場所、柏戸は予想外の初日から14連勝、千秋楽に同じく14連勝の大鵬と、全勝相星決戦となった。そして注目の一番は柏戸が寄り切って涙の復活全勝優勝を果たしたのだった。新入幕場所で11連勝していた大鵬を仕立て出し投げで破った初対戦から計37回対戦し、16勝21敗と唯一人大鵬と五分に渡り合った。引退したあとは鏡山親方となり審判部長などを務めた。昭和59年に弟子の多賀竜が優勝を果たしたときも涙を見せるなど、その純朴な人柄は多くの人に親しまれ、成績が上がらないときも非難の声は少なかったといわれる。優勝5回。


年月成  績決定戦金 星
36.1112●○○○○○○○○○○○●●○@開隆山
37. 110○○○○●○○○●○●○○●●D青ノ里
37. 311○○●○○○○○●○●○●○○
37. 511○○●●○○○●○○○○○○●C若三杉
37. 711○○○○○○●○○●○●○○●F豊 山
37. 911○○○○○○○●○○○●○●●
37.1112○○○○○○○○○●●●○○○
38. 115ややややややややややややややや
38. 3○○○○○■ややややややややや
38. 515ややややややややややややややや
38. 715ややややややややややややややや
38. 915○○○○○○○○○○○○○○○
38.1110●○●○○○○●○○○○●○●@房 錦 B小城花
39. 112○○○○●○○○○○○○●○●
39. 314○○○○○○○○○□○○○○●
39. 511○○○○○○○○○○○■ややや
39. 715ややややややややややややややや
39. 9○○○○●■やややややややややD豊 國
39.11○●○●●■やややややややややA青ノ里 C淺瀬川 D清 國
40. 115ややややややややややややややや
40. 315ややややややややややややややや
40. 5○●○○●●○○○○●○○●●D開隆山
40. 712●○○○●○○○○○○●○○○
40. 912●○○○○●○○○●○○○○○○○@富士錦 E琴 櫻
40.1113○■ややややややややややややや
41. 114○○○○○○○○○●○○○○○
41. 310○○●○○○○○○○●○●●●B淺瀬川 J海乃山
41. 512○○○○●○○○○○○●○○●D麒麟児
41. 712○○○○○○●○○○●○○○●F麒麟児
41. 913○○○○○○○○□○○●○●○
41.1110○○●○○●○○○●○○○●●B禊 鳳
42. 112○○○○●○○○○○○○●○●
42. 311○○●○○●○○○○●○○○●E富士錦
42. 513○●○○○○●○○○○○○○○F若 浪
42. 714○●○○○○○○○○○○○○○
42. 9○●○●○○○○○○●○●●●A清 國
42.1111○○○○○●○○●○●○○●○
43. 1○○●○●○○○○○●○●●●
43. 3○●●○○○●○○○●○●○●B陸奥嵐 F長谷川
43. 5○○●○□●●■やややややややB花 光 E栃 東 F長谷川
43. 710●○○○○○●●○○●○●○○@若二瀬
43. 9●●○○○○●○○○○●●○●A高見山 L栃 東
43.1111○○○○○○○○○○○●●●●
44. 110○●○○○○○○○○●○●●●J栃王山
44. 3○○○●○○○○●●○●●○●H栃富士 I栃 東
44. 5●○○●○○○○○●○●●○●@前の山 C戸 田
44. 7○●●■B朝 登
407勝147敗140休、勝率.735、在位47場所配給35個