第52代横綱

北の富士 勝昭

 三段目で2年を過ごすなど初めは出世が遅かったが、十両に昇進すると5場所目に全勝優勝を果たし入幕する。新入幕の場所でも13勝を挙げ一気に小結にまで昇進した。さすがに小結では11敗と負け越したが徐々に上位でも勝つようになると、関脇で3場所連続三賞を獲得した。大関陣が低迷していたこともあり3場所で28勝ながら大関昇進となった。出羽海部屋から独立した九重部屋に移り、大関4場所目にして優勝。だが綱取り場所で5勝10敗、翌場所も7勝8敗と連続して負け越してしまう(当時は3場所連続負け越しで陥落)。遊び好きで稽古に身の入らないまま3年余り大関を務めていたが、清國が師匠と同じ新大関優勝を果たすのを見て奮起。ライバルの玉乃島と横綱を争い連続優勝を果たして横綱に同時昇進した。物にこだわらぬ開放的な性格と気分相撲で成績はムラが多く、全勝・8勝・全勝という珍成績も残している。それでも全勝3回を含む優勝10回は歴代横綱でも上位の成績である。北玉時代となるか、という時にライバルの玉の海が死亡。知らせを聞いた北の富士はカメラの前で憚ることなく大泣きした。直後の場所では優勝を玉の海に捧げることができたが、それ以降の成績は下降気味だった。巡業をリタイアした玉の海に代わって横綱土俵入りをする際に不知火型の土俵入りを披露したことがあった。2つの型の手数入りをした唯一の力士である。千代の山の死去に伴い九重部屋を継承し、千代の富士と北勝海の2人を横綱に育て上げた。優勝10回。


年月成  績決定戦金 星
45. 313○○○○○○●○○○○○○●○
45. 514○○○○○○○○○○○○○○●
45. 713○○○○●○○○○○○○●○○D若 浪
45. 911○○●○○○○○●●○○○●○B藤ノ川 H福の花
45.1111○○○○○○●○○○□●●●○F長谷川
46. 111●○●○○○○○○○○○●●○@栃 東
46. 311●○○○○○○○○●●○●○○
46. 515○○○○○○○○○○○○○○○
46. 7●○○○●●○○○○●○●●●
46. 915○○○○○○○○○○○○○○○
46.1113○○○○○○●○○○○○○○●F黒姫山
47. 1●○○●○○●○○●○●●■やK福の花
47. 3○●○○●○●○○●○○●○●F貴ノ花 L魁 傑
47. 5●○○●○●●●■やややややや@長 浜
47. 715ややややややややややややややや
47. 915○○○○○○○○○○○○○○○
47.1110○○○●○●○○○●○○○●●I高見山
48. 110●○○○○○○●○○○●●○●G三重海
48. 314○○○○○○○○○○○○○○●
48. 5●●○○○○●○○○○○●●●A北の湖
48. 714○○●○○○○○○○○○○○○
48. 9○●○○○○●○○○■ややややF長谷川
48.1110●○○○○●●○○●○○○●○F豊 山
49. 1●○○○●●●●■ややややややE増位山
49. 315ややややややややややややややや
49. 515ややややややややややややややや
49. 7●●■@旭 國
247勝84敗62休、勝率.746、在位27場所配給17個