第53代横綱

琴櫻  傑将

 中学高校と柔道の道を進んでいたが、頼まれて出場した相撲の県大会で個人優勝を果たすと、翌年の全国高校相撲選手権大会にも出場し、これが佐渡ヶ嶽親方の目にとまった。3年で十両に昇進し、2度の十両優勝で幕内まで上がった。柏戸をうっちゃろうとして足首の骨折と脱臼をしてしまい十両陥落を味わったが、故障が治ると幕内上位へと復帰してきた。昭和42年7月場所では2横綱2大関を破って殊勲賞を獲得するとともに大関に昇進した。150kgの重量(今では平均体重だがこのころはとても大きかった)と大きな頭でブチかます威力は「猛牛」の異名をとり、抜群の馬力相撲で鳴らした。ただ蹴手繰りの得意な海乃山は苦手だった。大関時代はけがの連続で、いつ引退かという批判が常にあったが、昭和47年11月とその翌場所にウバ櫻の狂い咲きと言われる連続優勝を果たした。在位32場所目の大関は32歳にして横綱の座を射止めた。横綱3場所目に優勝決定戦で北の富士を破り横綱として優勝を遂げたが、わずか在位8場所での引退となった。引退後は白玉部屋を興そうそしていたが、突然の師匠の死に伴い佐渡ヶ嶽親方となった。琴風を大関に育てた。師匠として平幕優勝を3回経験している。審判長も務めていたときには、物言いの際の説明が下手で聞いてるほうは丸で分からず、迷惑千万この上なかったが、あまりにも滑稽で面白味があったとも思える。娘の夫は琴ノ若。優勝5回。


年月成  績決定戦金 星
48. 311○○○○●○○○●○●○●○○J黒姫山
48. 510○●○○○●●●○○○○●○○F魁 傑
48. 714○○○○○○○○○○○○○●○
48. 9●●○○○○○○○●○○●●●A三重海 I富士櫻 M大 錦
48.1111○○○●○●○○○○○●●○○
49. 1○○○●●■やややややややややD若獅子
49. 3○●○○○●○○●●●○●○●E豊 山 H鷲羽山 I荒 瀬 J高見山
49. 511●●●■やややややややややややA豊 山 B旭 國
49. 7番付には記載
66勝34敗20休、勝率.660、在位 8場所配給12個