第57代横綱

三重ノ海 剛司

 名前のとおり三重県出身。大関を目指す時期に肝炎を患い、昇進は遅れた。ようやく50年11月に関脇で優勝して大関の座を射止めたが、在位わずか3場所で陥落した。翌場所に関脇で10勝を挙げて復帰するも、その後も1ケタ勝利が続いていた。だが昭和53年頃から10勝を挙げられるようになると、昭和54年7月場所に優勝決定戦に進出、場所後に横綱に推挙された。典型的な大器晩成型力士である。高齢昇進だったため在位は8場所と短命だが、昇進時に「太く短く」と語ったとおり、高齢には無理といわれた連覇と全勝優勝を見事に成し遂げたのは立派。彼が在位した8場所は、頭でっかちといわれる4横綱時代としては珍しく充実した場所が続いた。引退すると出羽海部屋から独立して武蔵川部屋を創設。横綱の武蔵丸や大関の出島を育てた。ちなみに昭和49年9月場所に二子岳と引き分けとなる相撲を取った。現在のところこれが幕内最後の引き分け相撲である。優勝3回。


年月成  績金 星
54. 911○○●○●●○○○●○○○○○D三杉磯 E巨 砲
54.1114○○○○○○●○○○○○○○○F栃赤城
55. 115○○○○○○○○○○○○○○○
55. 310○●●●■ややややややややややA千代富 C黒瀬川
55. 510○○○○○○○●○●●○●●○G麒麟児 
55. 7●○○○●●○●●■ややややや@天ノ山 E千代富 H黒瀬川
55. 915ややややややややややややややや
55.11●●■A玉富士
55勝23敗30休、勝率.705、在位 8場所配給10個