明大中野高校を中退し、弟の貴花田と同時に相撲界に入った。序ノ口と三段目で優勝し、順調に昇進、入門から丸2年で関取になった。スピード出世なのだが、弟がそれを上回ったため、出世は早くないというイメージがあったり、一部のマスコミからいじめられりしたのはかわいそうなことだ。入幕後は技の切れにますます磨きがかかり、好角家を唸らせ、また貴花田とともに絶大な人気を得ることになった。左右のおっつけ、相手の体の動きを見切り絶妙のタイミングで繰り出されるいなしや叩きなどで小兵というハンデを補い、小結で初優勝を果たし、その後大関昇進となった。大関となった若ノ花は小兵だけあってなかなか高いレベル成績を残すことは難しかったが、随所で抜群の技能相撲を見せ“ゼニの取れる力士”と呼ばれる。平成9年初場所に初日から14連勝で3度目の優勝。翌春場所も好調で横綱昇進かと思われたが、3日目の旭鷲山戦で右大腿二頭筋断裂の重傷。一転して引退の窮地に立たされる。カド番の場所では序盤で3連敗するも、何とか8勝に到達した。その後、持ち前の相撲勘に磨きをかけ、平成10年に連続優勝を成し遂げて横綱昇進。史上初の兄弟横綱の誕生となった。昇進後は兄弟不和、離婚騒動など土俵外の話題で注目を集めてしまう。相撲のほうは在位4場所目に優勝決定戦に進むのが最高だった。平成11年秋場所の闘牙戦で左大腿二頭筋を不全断裂という致命傷。残りの5日間は全敗してしまい、皆勤で負け越してしまった。このとき若乃花は引退するつもりでいたが、理事長と話して現役続行を決意。復帰に向けてトレーニングを行ってきたが、満身創痍の体を支える気力に限界を感じ、平成12年春場所5日目に高校の後輩でもあり技能相撲の後継者ともいえる栃東に完敗したところで引退を表明した。横綱に昇進してからの若乃花は優勝することもなく、成績も立派なものではなかった。しかし、大型力士・パワー相撲が中心の時代に、わずか130kgの小さな体で横綱にまでのぼりつめた功績は見事なものだったといえよう。断髪式では同期横綱の曙を太刀持ちに、同期で弟の貴乃花を露払いに従えて最後の不知火型土俵入りを披露した。優勝5回。
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