優勝三賞一覧
その1明治42年〜  明治42年夏場所から新聞社が幕内最高成績者を写真掲額することになった。また東西対抗制度が確立された。明治の終わりに「四十五日の突っ張り」で太刀山が5連覇し、大正前期までに一時代を築いた。大正中期には栃木山の5連覇や大錦の3連覇など出羽海部屋の天下となる。栃木山が突然の引退をしてからも常ノ花が横綱になり出羽海部屋の天下は続いた。大正15年から天皇賜杯(当時は摂政杯)を授与するようになり、これが機となり東西の相撲協会が合併の方向へと進んでいく。
その2昭和 2年〜  東西の相撲協会が合併して昭和の相撲は始まった。不人気から脱しようとしていた昭和7年1月に春秋園事件が起こり、力士の大半が脱退してしまう。これにより相撲人気は凋落したが、この危機を救う力士が現れる。それが双葉山である。平幕時代から始まった連勝記録は5場所連続全勝優勝で69まで達した。双葉山の出現で相撲人気は沸騰し、双葉山も優勝回数を伸ばしていく。しかし戦争のため力士も徴兵されるなどし、日本の敗戦と時を同じくして双葉山は引退した。
その3昭和22年〜  それまで同成績の場合は番付上位の力士が優勝となっていたが、昭和22年夏場所から優勝決定戦が実施されることとなった。そして実施されたその場所に4人による決定戦が行われ、羽黒山が3連覇を達成する。また秋場所からは力士の士気を高めるために殊勲・敢闘・技能の三賞が制定された。そのほかにも四本柱を撤廃して吊り屋根にしたり、NHKがテレビ放送を開始、蔵前国技館が建設されるなどして相撲人気は上がっていった。そして栃錦と若乃花の登場で人気は頂点を極める。
その4昭和33年〜  昭和33年から年6場所となった。栃若時代は円熟期を迎え、栃錦と若乃花が交互に賜杯を手にした。まだまだ時代が続くかと思われたが、昭和35年夏場所に栃錦は初日から2連敗すると引退を表明した。栃若時代が終わりを告げると同時に、次の時代の担い手が彗星のように現れた。大鵬である。入幕から6場所目に優勝し大関に昇進、さらに5場所で横綱昇進を果たした。このとき同時に昇進したのがライバルの柏戸であった。大鵬は6連覇を達成するなど優勝回数を伸ばしていく。
その5昭和40年〜  柏戸、佐田の山、栃ノ海、豊山、北の冨士、玉乃島らの横綱大関を蹴散らして、大鵬は2度目の6連覇を達成する。佐田の山は柏鵬時代に大鵬以外としては唯一の連覇を達成、そして翌場所に突如として引退した。北の富士と玉の海が横綱に同時昇進して大鵬から主役の座を奪うことになるが、大鵬は千秋楽に逆転優勝して玉の海の3連覇を阻止することで最後の意地を見せた。大鵬が引退して北玉時代になると思われた矢先に玉の海が急逝。大相撲は混沌とした時代へ突入していく。
その6昭和47年〜  昭和47年初場所の優勝は11勝4敗という史上最低の成績だった。そして平幕・関脇・関脇・平幕と下位の力士が優勝する。低迷する土俵が続く中、“黄金の左”を持つ輪島が全勝優勝で横綱に昇進した。さらに「怪童」と呼ばれた北の湖が史上最年少で横綱昇進を果たし、輪湖時代の幕が開いた。大関の貴ノ花が優勝決定戦で北の湖を破って2度の優勝を果たしたこの頃の相撲人気は絶大なものがあった。その後も輪島と北の湖が交互に優勝をするなど、土俵上は充実した相撲が多かった。
その7昭和53年〜  昭和53年に北の湖は5連覇、年間82勝を記録。そして北の湖を軸として4横綱が優勝をする充実した時代が続いた。その横綱の連続優勝を21場所で止めたのが千代の富士だった。初優勝を遂げた千代の富士は一気に横綱に駆け上がり、3連覇を達成。その後も隆の里と4場所連続相星決戦を繰り広げた。昭和59年の暮れには黒船襲来と呼ばれた小錦旋風が巻き起こり、初顔で3横綱を次々と下し相撲界に衝撃を与えた。そして多賀竜の平幕優勝で蔵前国技館の歴史に幕が降りた。
その8昭和60年〜  両国に相撲が戻ってきた。そして千代の富士の時代が始まった。新国技館7連覇を達成、4年間で16回の優勝を飾り、双葉山に迫る連勝記録が53でストップするとともに激動の昭和の相撲が終わった。平成に入り千代の富士の力にも陰りが見え始め、平成3年夏場所初日に貴花田に敗れると2日後に引退を表明した。これを引き金に土俵は混迷が続く。4横綱は1年の間に次々と引退し、史上初の2場所連続平幕優勝が記録された。しかしすぐに新たなる時代を迎えることになる。
その9平成 4年〜  平成4年初場所に貴花田が史上最年少で優勝を果たすが、出世争いはライバルの曙がリードする。初優勝とともに大関に昇進、さらに4場所で横綱に昇進した。その後曙が3連覇を達成するが、着実に力をつけてきた貴乃花が連続全勝優勝で横綱に昇進すると、一気に貴乃花時代となった。横綱と大関の5人による安定政権は5年も続く。その間、賜杯は5人の間でのみ争われ、新大関も生まれることはなかった。平成10年に若乃花が横綱に昇進して史上初の兄弟横綱が誕生した。
その10平成11年〜  平成11年初場所で千代大海が優勝、5年振りの新大関誕生。貴乃花が優勝から遠ざかり、若乃花は横綱で負け越し・そして引退、貴ノ浪は大関陥落と二子山時代は終わりを告げ、武蔵川時代となる。武蔵川部屋6連覇を達成、武蔵丸が横綱昇進、出島・武双山・雅山が大関に昇進した。しかし、これも長く続かず出島・雅山が相次いで陥落、武蔵丸も低迷が続く。6場所連続カド番大関など上位低迷を経て、貴乃花引退場所に朝青龍が史上最短の横綱昇進を果たし、朝青龍時代が到来した。
その11平成18年〜  連続優勝は7で途絶えたものの、歴史上最長の一人横綱在位となった朝青龍時代は続いていた。世間が、何より朝青龍が望んでいたライバルとして白鵬が登場する。新大関優勝を果たした後、少しもたつくが遂に横綱昇進。東西にモンゴル出身の横綱をいただき青白時代へ突入した。前代未聞の横綱2場所出場停止や稽古に名を借りた過失致死事件の混迷を経て、平成20年初場所は横綱相星決戦が行われ、土俵が再び充実してきた。これからの青白時代に注目したい。